劇@自宅

サイトウ君に誘ってもらってナノグラフィカでお茶をしました。
毎度楽しかったです。久しぶりに飲んだコーヒーも美味しかった。
たまにはナノグラフィカでゆっくりコーヒー飲めばいいんだ。


話しは次第に演劇のことへ。
例えば街角で見かけたとても面白いおじさん。
このおじさんを連れてきて舞台に上がってもらう。
面白かったおじさんはそのまま面白いのか。
舞台はたぶん、面白いものをつまらなくしてしまう前提にもなる。
日常と舞台の上とでは、同じある事が全く違う印象になるぐらいの差はある。


もし「そのまんまでいいから」と僕が舞台に上がるとして。
1.舞台に上がる→2.人に見られる→3.ってことは何かしらを期待されて見られていると思う
→4.その期待に応えたい、または応えないといけない→5.緊張→6.すでに「そのまま」の自分ではない。


普段の僕じゃない状態を緊張とするなら(ちょっと強引か)、「そのまま」で舞台に上がるには、緊張しないという選択がひとつ。
もうひとつは緊張はするとして、緊張をしながらも普段の自分を演じられる技量を身につける。のふたつ。
普段の自分を演じられるということは自分をコントロールすることができる、でもあってそれなりの訓練や場数をこなすってことが必須になる。普通は。
いわゆる天才ってのは、その「コントロールする」があっさりわかってしまうというか、できてしまうんで考えてもあんまりいいことないかもしれない。


ものぐさですが、なんの訓練もなしに緊張しないで舞台に上がることは可能か。
さかのぼると。「期待に応えない」という心構え。
そんなに強くいれるのか。ほぼ捨て身だ。
それかどこかで期待に応えたことにしてしまうという方法もあるかもしれない。
コスプレなどヴィジュアル的に期待に応えたことにして、外見以外は素の自分。
女装はしているが、しゃべってる声や内容、仕草はいつもの僕とか。それなら少しは楽か。


もうひとつさかのぼって、なんにも期待されていないことにする。はどうか。
自分を見ている人がいるという現実を目の前に、そんな思い込みで押し切れるのか。きついな。
そこまでいくと、舞台になんかあがんなきゃ?という気もしないでもない。

舞台に上がる?あがらない?と1.まで戻って、「そのまま」の自分を押し通すなら舞台にこだわらず違う方法はないのかということもある。
そうなるとここから先は、演劇とか舞台の話しからは離れるか。


んー。
衣装やビジュアルで直接の期待度をかわしつつ、いっさい「期待に応えない」という強靭な(できるかぎりの)精神で舞台に臨む。
というのが今のところ現実的かもしれない。そんな劇があるのか。
その前に、舞台のオファーもないのになにやら心配しすぎだ。


みんなはネオンに劇を見に行ったが、ぼくは家に帰って風林火山を見た。
すげー面白かった。
サイトウ君はヨコハマについただろうか。